ブーヤー・トライブについて

外国の俳優さんやアーティストが来日した際、「日本大好き!」って言ってくれるとちょっと嬉しくなりますよね。特に興味のなかった俳優でも、その人が親日家だと知った途端に好感度が上がったり。やっぱり嫌いよりは好きでいてほしいですし、好きって言われて悪い気はしないものです。最近親日家として有名なのはレディー・ガガですね。彼女は、肩に「TOKYO LOVE」というタトゥーを入れていたり、「YOKO」という名の柴犬を飼っていたり、東日本大震災の後にも来日してチャリティー活動を行ってくれたりと本当に日本を愛してくれています。レディー・ガガまで行かずとも、日本を好きでいてくれている外国人は思いのほか沢山います。今回は、あまり知られていないけれど実は親日家という外国人を紹介したいと思います。

親日家って?

親日とは、日本や日本人、日本文化に好意的な言動を示す外国人を指す言葉です。日本政府は、親日派の増加が日本の外交政策や事情に対する諸外国の理解促進に繋がるものであるとして、新日派を増やすことに力を入れています。好意的な感情などに関係無く、日本の政治や経済、文化などの情報や性質を熟知しているという意味では一般には「知日」という言葉が使われます。一般に親日である人を示す場合には「親日家」や「親日派」という言葉が使われます。親日というと、日本という国や文化、或いは日本人などに対して好意的であるか、又はそれら日本関係の動向を好意的に解釈する傾向だと解されます。これには歴史的経緯や地域的な要素、あるいは親日とされる個人・団体・地域がもつ価値観などによっても傾向が様々です。好意を示す対象も、日本人に好意的だったり、古来の日本文化や流行、大衆文化、日本史に親しんでいる場合もあれば、日本政府、あるいは日本の象徴としての天皇や皇室などに対して親密な様子を指す場合もあります。中にはその親しみの対象に自民党や右翼、大日本帝国軍などを含める人もおり、「日本」の定義もまちまちであるため、一概に親日とは言っても、その性質は千差万別です。

ブーヤー・トライブについて

ブーヤー・トライブ(Boo-Yaa T.R.I.B.E)は、アメリカ合衆国カルフォルニア州カーソン出身のサモア系アメリカ人のハードコアヒップホップグループです。メンバーは現在6人おり、そのすべてが兄弟で構成されています。サモア系特有の大きな身体に、長髪を三つ編みにした独特のヘアスタイル、サモアの伝統的なタトゥーが入った体など、ちょっと見た目は怖い彼らですが、日本で活動していたこともあり、実は大変な親日家なのです。メンバー全員がポップ、ロックのダンスを操ることができ、またメンバー全員楽器の演奏が出来るというのも特徴です。グループ名の由来は、BOO YAAというショットガンの発射音を表すスラングと、「Too Rough International Boo-Yaa Empire(T.R.I.B.E)」つまり、相当危険なブーヤー帝国という意味と、家族という意味を持たせたのだそうです。メンバーは日本で活躍しているKONISHIKI(小錦)のいとこでもあります。

ブーヤー・トライブの経歴

結成

ブーヤー・トライブは、ロサンゼルスを拠点に活動し、ウエストコーストのラップシーンを確立したグループとして知られています。彼らの父親はバプテスト教会の牧師であり、彼らは幼いころから教会で演奏していました。しかしその後、教会音楽からはかけ離れたP-Funkに傾倒し、ファンクのダンスを踊るようになります。また、牧師の父への反発からか、彼ら兄弟はウエストコーストのギャングに憧れを抱くようになり、ギャングの道へと堕ちていきました。薬物や銃の不法所持で捕まり、刑務所で過ごしたメンバーもいたほどでした。彼らに転機が訪れたのは1987年のことでした。末の弟が銃殺されたのです。これをきっかけに彼らはギャングから足を洗うことを決意します。その時のことをメンバーはこう語っています。「ギャングスターの生活は高くついた。あの頃、俺も家族もそれぞれ違う敵と戦っていて、兄弟はその犠牲になってしまった。俺の人生にはずっと兄弟がいて、争いの中にいても大事な誰かを失うなんてことはないと思っていた。実際にそれが起こってしまった時、人は二つのことが出来る。怒り狂うか、その思いを抱いて生きていくかだ。兄弟の死によって、俺たちは争いを選ぶか、音楽を選ぶかを決めなきゃならなかった。そして、俺たちは音楽で表現しながら生きていく厳しい道を選んだ。あの出来事が俺たちを変えたんだ。」と。今までの行いを反省した彼らは、音楽の道で生きていくことを決意したのでした。

来日

ギャングとの生活を断ち切るため、メンバーはしばらくの間日本で活動することを決めます。日本には彼らのいとこである小錦がいましたし、兄弟のひとりが以前日本を訪れたことがあり、その兄弟がリフレッシュしてミュージシャンとして

新たなスタートを切るのに日本は最適だと主張したのだそうです。メンバーのほとんどが初来日で、言葉ももちろん分からない中、新たに「The Blue City Crew」というグループを作り、タップとダンスによるライブを行いました。クラブでライブを始めた当初は、客も2・3人しかいませんでしたが、口コミが口コミを呼んで徐々にメジャーになっていき、2・3週間後には遠方から足を運ぶ客も増え、クラブに入りきらないほどの集客だったのだそうです。

帰国

日本での人気が確立されたことで自信をつけたメンバーたちは、故郷のアメリカに帰国します。新たに「Boo-Yaa T.R.I.B.E」というグループ名をつけ、Gawttiを新メンバーに加えました。1988年にアルバム「Coming Hard To America」をリリース。翌1989年には大手レコード会社の「Island Records」と契約します。1990年にリリースしたデビューアルバム「New Funky Nation」は10万枚以上の売り上げを記録し、彼らはウエストコーストのヒップホップを牽引するトップスターとなったのでした。1992年にIsland Recordsとの契約が切れると、翌年にはロックをヒップホップに取り入れるという新しい手法を生み出し、様々なアーティストのアルバムに参加します。同年、「The smaller Bullet Proof label」と契約。順調に新作をリリースします。1997年には自分達のレーベル「Samoan Mafia label」を立ち上げ、ラップとファンクとヘヴィメタルを融合させたデモアルバム「Angry Samoans」をリリースしました。ブーヤー・トライブは現在もヒップホップとロック、ヘヴィメタルを融合させた音楽を続けており、様々な分野のアーティストから高い評価を得ています。

ディスコグラフィ

アルバム

  • 1988年「Coming Hard to America」Villain Records
  • 1990年「New Funky Nation」Island Records/4th & B
  • 1992年「Rumors of a Dead Man」Hollywood Records
  • 1992年「Area Code 213 on Soundtrack」Capitol Records
  • 1992年「White Men Can't Rap」EMI
  • 1993年「Another Body Murdered」Immortal Records, Certified Gold
  • 1993年「Fam Bam」Hollywood Records
  • 1993年「Round There」Spot Music
  • 1995年「Doomsday」Hollywood/Bullet Proof Records
  • 1995年「Occupation Hazardous」Samoan Mafia/First Kut
  • 1996年「Metally Disturbed」Samoan Mafia/First Kut
  • 1997年「Angry Samoans」Bullet Proof Records
  • 2000年「Mafia Lifestyle」Samoan Mafia/First Kut
  • 2000年「Bloodead」Confidential Report/Copp
  • 2003年「West Koasta Nostra」Sarinjay Entertainment
  • 2006年「Angry Samoans」Samoan Mafia/First Kut

シングル

  • 1990年「R.A.I.D.」Island Records/4th & B
  • 1990年「Walk The Line」Island Records/4th & B
  • 1990年「Psyko Funk」Island Records/4th & B
  • 1995年「Rid Is Coming」Samoan Mafia/First Kut
  • 1996年「Chillin on the West」Samoan Mafia/First Kut

ギャングだけど親日家

ブーヤー・トライブは見た目はイカツくて怖いですが、中身は良い人たち・・・と思いきや本物のギャングだったというから驚きです。音楽活動を始める前は刑務所のお世話になったこともあるほど。実際、末の弟が抗争の末に銃殺されているなど、彼らの過去は私たち日本人からは想像も出来ないほど過酷な物です。ですが、そんな彼らも音楽活動を始めてからは至極まっとうに生きています。彼らのスタート地点が日本だったこともあり、親日家としても知られていて、日本にもファンは多いです。元大関の小錦とはいとこという関係だそうで、一説には小錦を頼って日本に来たのではないかとも言われています。小錦はハワイ出身ですが、純粋なハワイアンではなく両親はサモアからの移民だそうで、ブーヤー・トライブといとこ同士というのも納得です。ブーヤー・トライブの魅力は、その大きな体から繰り広げられる軽快なダンスと楽器演奏です。ムキムキのマッチョで、タトゥーだらけの身体なのに、楽器も演奏できちゃう器用さが私は好きです。曲自体ももちろんカッコいいのですが、それ以上に彼らの個性的なスタイルや生き方に魅力を感じます。これからも多くの名作を生み出し、ゆくゆくは来日公演も行って欲しいなと思います。

ブーヤー・トライブについて

グウェン・ステファニー

ジョン・メイヤー

アート・ブレイキー

ドラガン・ストイコビッチ

シンディ・ローパー

親日家は世界中に!